海の向こうの家族。~震災編~ [家族的life]
先日から書いている
このシルベスターとの関係のブログ。
3.11
忘れもしないあの日...
彼らは遠い地マレーシアで
私達の安否の心配をしてくれていました。
電話と言う通信手段が死んでいる中
フェイスブックのおかげで連絡がとれ
何とか、こちらの無事を伝える事ができました。
それから4~5日後、震災の影響で
そこら中がバタバタしている最中
一通のメールが彼から入りました。
急遽、マレーシア~成田への便に乗ると。
僕は、前回に会った時に、彼の半年間のフライトスケジュールを
聴いていたので???
って感じでした。
あれ?半年は成田へのフライト無いって言ってたのに。
しかし、彼はマレーシアで日本の震災の様子をTVで観て
コンビニやスーパーマーケットから
食料品が買い溜めやパニック的な行動で消えている事を知り
マレーシアから食料品を持ってきてくれたのでした。
その中には幼い天晴の事などを思い、お菓子も入っていました。
あの原発事故で、日本に来る事さえ拒む、諸外国の方々が多い中
彼は、志願してまで、私達家族の為に物資を届けてくれたのです。
大きなスーパーの袋にパンパンに入ったインスタント食品。
彼の想いに、私達家族は胸が熱く苦しかった。
もしも、自分が逆の立場だったら、果して行動を起こせていただろうか?
僕は、彼の子供の為に危険な国に行っただろうか?
そんな自分をみて育つ息子の天晴は、あっぱれな人間に育つだろうか?
僕は彼に教えて貰った気がします。
その出来事をきっかけに、僕は自分の行動のスピードや質を
常に意識する様になった気がします。
遠い地の家族に、絆は本当に繋がっているのだと
人として、とても大事な事を気付かせて頂きました。
上の画像は、私達が彼の家に行った時と
彼の家族が我が家へ来た時です。
下の画像はシルベスターと私の母と叔母さん夫婦
撮影者は私の父。
先週成田で会食した時です。
青柳畳店は明日も真心込めてpray for japan
HP開設しました♪
銚子で、襖と畳は!
http://tatamishopaoyagi.sakura.ne.jp/
宜しくお願い致します。
このシルベスターとの関係のブログ。
3.11
忘れもしないあの日...
彼らは遠い地マレーシアで
私達の安否の心配をしてくれていました。
電話と言う通信手段が死んでいる中
フェイスブックのおかげで連絡がとれ
何とか、こちらの無事を伝える事ができました。
それから4~5日後、震災の影響で
そこら中がバタバタしている最中
一通のメールが彼から入りました。
急遽、マレーシア~成田への便に乗ると。
僕は、前回に会った時に、彼の半年間のフライトスケジュールを
聴いていたので???
って感じでした。
あれ?半年は成田へのフライト無いって言ってたのに。
しかし、彼はマレーシアで日本の震災の様子をTVで観て
コンビニやスーパーマーケットから
食料品が買い溜めやパニック的な行動で消えている事を知り
マレーシアから食料品を持ってきてくれたのでした。
その中には幼い天晴の事などを思い、お菓子も入っていました。
あの原発事故で、日本に来る事さえ拒む、諸外国の方々が多い中
彼は、志願してまで、私達家族の為に物資を届けてくれたのです。
大きなスーパーの袋にパンパンに入ったインスタント食品。
彼の想いに、私達家族は胸が熱く苦しかった。
もしも、自分が逆の立場だったら、果して行動を起こせていただろうか?
僕は、彼の子供の為に危険な国に行っただろうか?
そんな自分をみて育つ息子の天晴は、あっぱれな人間に育つだろうか?
僕は彼に教えて貰った気がします。
その出来事をきっかけに、僕は自分の行動のスピードや質を
常に意識する様になった気がします。
遠い地の家族に、絆は本当に繋がっているのだと
人として、とても大事な事を気付かせて頂きました。
上の画像は、私達が彼の家に行った時と
彼の家族が我が家へ来た時です。
下の画像はシルベスターと私の母と叔母さん夫婦
撮影者は私の父。
先週成田で会食した時です。
青柳畳店は明日も真心込めてpray for japan
HP開設しました♪
銚子で、襖と畳は!
http://tatamishopaoyagi.sakura.ne.jp/
宜しくお願い致します。
2012-11-05 18:18
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0